第7回 CAJアーティスト・イン・レジデンス 国際プログラム
バングラデシュ現代美術展
世界の境界を問う2人―社会・歴史・文化・宗教・ジェンダー

小勝禮子 栃木県立美術館学芸課長

 バングラデシュは、1947年イギリスからのインド独立の際にイスラム教圏として分離して生まれたパキスタンから、さらに1971年に独立戦争の末、分離して誕生した国である。苦難の近代史をたどったバングラデシュの現代アートは、社会意識の高いものが当然多くなるだろう。

 特に今回招聘された2人は、2002年に設立されたブリット・アーツ・トラストBrrito Arts Trustというアーティスト主導の非営利組織の創立者であり、このブリットが中心になって2011年の第54回ヴェネツィア・ビエンナーレ、バングラデシュ館の展示を実現させ、2人とも他3人の出品作家とともに出品し、妻のリピはコミッショナーも務めている。

 夫、マフブブ・ラーマン(1969年生まれ)は1993年にダッカ大学美術専攻修士修了後、20年におよぶ長い活動の中で、バングラデシュ国内やアジア各国はもとより、ドイツ、イギリス、イタリアなどでも展覧会、ワークショップ、パフォーマンスを行っている。1994年に逸早く、福岡市美術館の第4回アジア美術展にも招聘された。バングラデシュを代表する現代アーティストの一人と言ってよいだろう。映像やインスタレーションなどの新しいメディアを積極的に取り入れた世代であり、彼自身も何度も参加したバングラデシュ・ビエンナーレに出品された日本の現代アーティストのインスタレーションに触発される部分もあったという。だがその作品のテーマはバングラデシュの歴史や神話を使って、現代の政治や社会批判をするもので、抑圧される農民が自分の状況を変えられないことを、自身の身体を使って水牛の角と網を付けた姿で表現したパフォーマンスもある。

 今回の滞在制作Spaceのシリーズは、木片を組み合わせて構成された狭い空間と、それを彼自身が潜り抜けようとするパフォーマンス映像からなる。自由な空間は幻想であり、バングラデシュ人のラーマンに限らず、日本人もまたさまざまな障害に阻まれながら生活していることが連想される。またEmptyでは、ジーンズにシャツを着た人間の体が透明人間のように消えて、高額のおもちゃの紙幣が背景に描かれ、ポケットに差し込まれている。空虚な拝金主義の社会とは、日本での滞在の実感だろうか。

 妻のタエバ・ベグム・リピ(1969年生まれ)もダッカ大学で絵画を学び、その後アジア各国やヨーロッパで展覧会やパフォーマンスを行うなど幅広く活動している。バングラデシュの女性アーティストは、1980~90年代には家父長制社会における女性に対する暴力や差別、女性の身体固有の性や生殖の問題などを、写実的な絵画に描くフェミニズムの視点の画家が登場していたが、リピは次の世代として映像やインスタレーションによる表現も巧みに使っている。《自分自身と結婚するI wed myself》(2010年)では、2面のスクリーンに投影される花嫁と花婿の双方を自分自身で演じて見せ、「男性」「女性」のどちらかのジェンダーにカテゴライズされることへの抵抗を示した。またヴェネツイア・ビエンナーレに出品した《奇妙で綺麗Bizarre and Beautiful》(2011年)は、3000枚のカミソリで作った30個のブラジャーのインスタレーションで、その暴力的な美しさに息を呑む。女性の身体に負わされた官能性と暴力をみごとに形象化している。

 今回の滞在制作《あなたはどの種類のナイフ?》もこうした女性の可愛らしさと裏腹の内に秘めた怒りや暴力性を表わしているし、英語のBAD(悪)と日本語の良、ベンガル語も組み合わせた《Bad & Good》Ⅰ,Ⅱは、善悪の2項対立を異なる言語で無化するものだろう。

 最後に残念だったのは、彼ら2人のアーティストの実力を示す近作のうち、輸送が容易な映像作品だけでも展示できなかったかということだ。滞在制作は1か月間と日程も限られ、国際的に活躍する彼らの力量を必ずしも十分に発揮した作品とは言えない。
日本でほとんど見ることのできないバングラデシュの現代アートであっただけに残念である。むろん2人の作家の滞在中に日本の社会に触れた体験は、帰国後の彼らの作品に結実することもあるだろうし、日本の作家も今後彼らを訪ねてバングラデシュに滞在するプログラムも組めるだろう。そうした芸術家の相互交流にこそ、C.A.J.アーティスト・イン・レジデンス国際プログラムの意義が深いと思う。限られた予算内での展示にも制約が多いと思うが、今後の継続と発展を願う。

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